いよいよ今週末ラグビーW杯セミファイナルそして翌週はファイナルと残すところあと4試合(3位決定戦もある)、楽しみな反面終わりが近くて一抹の寂しさもある、今風で言えば“ラグビーロス”ということかな。
思い起こせば私ことラグビーバカが誕生したのははかれこれ29年前24歳の時、それ以前から面白いスポーツだなと思っていたが私の住む街にはラグビー文化がなくそれ程傾注してませんでしたが、徐々に雑誌・情報で伝統や逸話を聞き耳し、新日鉄釜石の松尾雄次の引退試合、同志社の平尾誠二というスターもいて(後のスクールウォーズのモデル)私の心のマグマが燃えてきました、大学選手権などは試合前のロッカールームで選手が高揚して涙を流す姿に感動し、血を出したり泥だらけになりながらひたむきにプレーする姿に心を打ち抜かれました。とどめはそれまで早明の陰に隠れ長年低迷していたが上田昭夫氏が監督になって復活し大学王者同志社に前年微妙な判定で涙を飲んだ慶應が大学選手権決勝の明治戦で雨中の中死闘を演じ同点優勝。あの頃はまだアマチュアリズムが強く双方優勝でくじ慶應引きで社会人チャンピオンのトヨタ自動車と対戦。実力差は今でいえば日本とスコットランド位の差がありましたが、慶應の代名詞“魂のラグビー”でタックルタックルの連続で少ないチャンスをものにし見事日本一になりました。あの時の上田監督がむせびなく姿に惚れてしまい以来、学識ゼロなのに慶應ファンになってラグビーバカが誕生しました。あの頃は地上波だけが頼りの田舎なので国内の主要な大会は全部ビデオ(VHS録画の完全保存版)、国内では盛り上がるが、W杯が始まって日本が惨敗するたびに徐々に日本ラグビーの人気が落ちてきて、何故外人が代表なの?なんて言われる始末(それは今までの国内人気に頼りきりの利権ばかり言う協会が悪い)
あ~熱くなってきた。ちょっと一杯。話を戻して、日本一になった慶應は上田さんが監督を退くとまた低迷どん底になり、それから14年後再び監督に就任して2000年創部100周年の年に大学日本一になる。節目節目に輝かしい成績を残し何かを持ってる尊敬できる数少ない指導者でしたが、まさかの今年W杯が始まる前の7月に難病を患い他界してしまった。まだ62歳の若さでいつかは代表監督になって欲しいと願ったのに。日本の劇的な勝利を同じ空間で喜びを分かち合いたかったです。